2019年4月19日金曜日

スピカがうちに来る前 その2

虹の橋のたもとに行って小さくなってしまったそーさんとうちに帰り、ささやかですが祭壇を作り、大好きだった焼き芋とりんごと鹿肉と日本酒、花と大好きなおもちゃを供えました。

亡くなって連れて帰ってきた日もそうだったのですが、家が静か。そしてとても広く感じる。
とてつもない違和感。
家に帰ってきた途端呆けてしまいました。
現実味がない。
つい4日前まで一緒にいて笑ってたり散歩でダッシュしたりストーブの横で腹なでていたのに。
すぐ近所の公園を見ていたら「ここの公園でよく散歩して遊んだよな」と思った途端ぐっときたり
歩いて3分の図書館横切ると館内乱入事件思い出したり(2016年12月)
このスーパーの4本目の柵にいつも繋いで買物して、いいこで待ってくれてたんだよな、とか
何かのスイッチが入ったら抑え切れないだろうなと。
ちょっとした事だけどうちの周辺はそんな思い入れのある場所だらけ。
そーさんともっと仲良くなりたいと思って図書館から借りてた本は即座に返した。


私より妻の落ち込みようが激しく、夜も寝れない様で、突然横から泣き声が聞こえてくる日々でした。
スピカが来て私も日々一緒にいて改めて理解したのですが、子犬の時からしつけや毎日世話したり、悪さしたり手がかかったりで自分の事や家の事もままならなくて大変なんだろうけど、この大変さがかけがえのない時だったことが。
13年一緒に住んでいたという時間の重みがちがう。

「毎日しょげていたらだめだよね」
「ごめんね。ダメダメ人間だよね」
「泣いてばかりいたらそーさん悲しむよね」
「この家に居ると思い出してつらいから引っ越そうか」
「そーさんがドアの向こうからひょっこり顔を出してくるような気がする」
などと言う毎日。よくこんな状態で顔に出さず変わらず人に会う仕事していたのだからすごいと思う。
しかし私ではなんともしてあげれない。
「まだ数日なんだから。悲しんでいて当たり前だよ。」とありきたりな事しか言えなかった。
気晴らしにケーキを買って食べても、外食してもその瞬間だけで家に帰ってきたらやはり落ち込んでしまう。

そういう私も号泣こそなかったものの、散歩の時にいつも行っていたスーパーには思い出がありすぎで行けなかったし、GWに予定していた2人と1匹泊り旅行もキャンセルした。ペットOKのペンションに二人で泊るのは辛すぎる。ほかの客はペットと一緒にいるのに何でうちらだけ二人なんだろうと、そんな状況耐えられない。
なにより毎日帰宅の時間が憂鬱だった。いつもなら「帰ったらまず練習して20時になったら散歩に行って帰ってきたらご飯食べさせよう」とその日の段取り決めていたのだが、帰ってきてすることがない。
「そーさん、いないんだもんな・・・」
この空虚さは本当に辛くて毎日の帰宅が苦痛でしかなかった。

お互いそんな日々が3週間ほど続いた。

私は時間がたつに連れ、そーさんはいなくなってしまったのじゃなくて、時間軸を一緒に歩くことができなくなってしまった。足を止めてしまったから。でもそこにいて僕らが未来に向かって歩いているのをずっと見ていて手を振って応援してくれている。だからそーさんを心配させないように一生懸命胸を張って歩いて行くんだ。
そんな風に考えていた。

つづく

※今日はスピカが生まれて3ヶ月目の日でした。

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