9年たちました。
この日が来るとあの時の事を思い出し、忘れていた事を色々考えさせられる日でもあります。
朝、スピカと妻の出勤を見送ります。
後ろは私のNICEカラーcarですwww
昼間は目立つ目立つwww
あえて、あえて、この色を選んでいますw
私のクローゼットにはピンクのシャツがずらっとwww
さて、昼前に仕事があるので色々準備を・・・の前にトイレ・・・
ついて来なくていいんだけどね???
午後ソファで昼寝していたら、僕の腹を踏み台にして出窓にwww
さすがにウッときたわw
中途半端に時間ができたり、外吹雪だったり、仕事終わったの22時半だったりで散歩いけなくてごめん・・・
明日たっぷり行くぞ。
ドロドロになっても行くぞ。
*****
東日本大震災が起きて3ヵ月後、支援で現地に入りました。
その後都合2回、現地に行っております。
1回目は岩手県山田町(旭川の馬鹿NPOが引っ掻き回した町です・・・)その後は宮城県気仙沼市に。
山田町の支援に北海道からは私だけなので、丸1日かけて車で陸路現地集合しました。
八戸まではなんともないんです。(八戸港の方はひどかったようです)
八戸の市街地出て海岸線に入った瞬間に景色が変わった。
言葉を失うと言うのはこういうことなんでしょうね。
体育館避難所にも伺いました。
ここで毎日生活している現実を見ました。その日は外気温30度でした。
大変そうだなと思ったのを思い出します。それって同情だったんだなとわかったのが、おととしの地震で自分らが地震の影響を受けて日常が崩れたとき。
電気が2日止まっただけで被害こそほとんどないと言えるけど、どんな状況下であれ、生きていかなきゃいけない。飯食わなきゃいけない。ペットを守らないといけない。まずは生活元に戻すぞ!落ち込んでられない!がんばるぞ!って。
東北行って、現地の人たちから逆に元気もらって帰ってきた気がしていたのですが、
ああ、こういうことか。と言うのが少しだけわかりました。
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大震災の後に現地に入られたんですね すごいです
返信削除行動力ありますね
なんにもできないのが 歯がゆくて
東北の物を購入したり 募金するだけでしたよ
いや~ 現地に入るなんて 日程調整し 準備して
現地で行動してでしょ すごいです
あの時は「何かできないか!」との思いだけでしたね・・・
削除街頭募金活動や支援ライブ出演など間接的に活動したものの、やるせなさばかり募ってきたので、私の仕事で、できる支援活動探して行ったのでした。
たかが2日で何ができたのか?と言う事もあります。
すべて投げ打ってこのまま現地に残って支援・・も頭よぎりましたが、どうやって生活するのよ?と言うのもあって断念しました。
主催した人は震災後2週間目で入って去年まで継続して行ってましたから頭が下がります。
パパさん行動力すごいです、私の会社の拠点も仙台港から近くて津波にやられて、メチャクチャになり従業員のケアやら物資の支援やらしてたのを毎年思い出します、すぐ会社にいきまして、地域の秩序がなくなっており、泥棒などの類いがうろうろしている状況でした(会社の現金もかなり泥棒にやられました)ので、余震続きのなかそういう意味でも危険であったのにお疲れ様でした、今のなにげないかもしれないけどこの日常ってほんとに幸せなことだとおもいます
返信削除仙台港、気仙沼の行き帰りで立ち寄りました。
削除仙台貨物ターミナルの方までひしゃげたネットがあったので
こんな奥まで津波来たのか!と思いました。
火事場泥棒はやはりあったのですね。
海外からは暴動がない!凄い!と美談化してますが・・・
家族や飼い犬と過ごす一瞬一瞬の日常が大事なのでしょうね。あまり意識できないですけど・・・